2008.05.04〈日、みどりの日〉晴れ 気温28.3度
宮本武蔵、夏目漱石、熊本には縁の深いお二人なんです。 いたるところに足跡があります。 昨日、午後からいくつか訪ねてみました。 <宮本武蔵>〈1640~1645〉 《座禅石》 肥後藩主に招かれ 肥後の国に落ち着いた宮本武蔵がときどきこの石の上で座禅していたとか。 熊本市の西の方角金峰山の裾、谷尾崎に有ります。 《霊巌洞》 さらに西のほうへ進むと 晩年の 武蔵がここに籠もってあの有名な「五輪書」を書いた場所があります。 其の2年後に没していますが若い頃は勝負に明け暮れ、波乱万丈の人生を送った 武蔵も肥後の国で過ごした晩年の5年間は、精神的にも充実したものであったことでしょう。 《五百羅漢》 霊巌洞の手前の岩山には五百体の羅漢様が居られます。 武蔵とは関係ないのですがここを通ります。 風化されて痛んでいますが自然そのままに保存されています。 〈夏目漱石〉〈1896~1900〉 武蔵と時代は違いますが漱石は4年あまり熊本で過ごし、この間に 結婚して子供も生まれています。 この時期に漱石はよく旅行をしていたようでいくつかの小説に書いています。「二百十日」のモデルになった阿蘇旅行も有名ですが、「草枕」のモデルになった小天温泉へ歩いた道は、金峰山の山すそ、武蔵が暮らした場所の近くです。。 《鎌研坂》 「山路を登りながら、こう考えた、智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」……草枕より 漱石も色々と考えること多かったようですね。 《峠の茶屋》 「おい、と呼んだが、返事がない」と書かれている峠の茶屋跡地 今は井戸跡だけが残っていますが竹林のなかの細い山道が漱石が歩いた頃の 面影を残しています。 周辺は公園として整備され、藁葺きの建物は資料館です。 名物“だご汁”などの食事もできます。ここで昼食を取りました。 子供の頃食べた小麦粉の香りのする切り団子のシコシコとした歯ざわりが 懐かしく思い出されました。ご飯は筍ご飯です。 立て札が新しくなっていました。 ここで漱石も馬を繋いで一服したのでしょうか 《漱石の宿》 この峠を越えて下れば小天温泉、小天の名門“前田案山子”の別邸で暮れから正月を数日過ごしたようです。今は復元されて真新しい建物です。ここで「草枕」のヒロイン、那古井の宿の出戻ていたお嬢さん「那美さん」との出会いがあります。 《漱石の句》 「かんてらや師走の宿に寝つかれず」 「温泉の山や蜜柑の山の南側」 「温泉や水滑らかに去年の垢」 など幾つもの句が残されています。 市街地を抜けるとすぐ近くにこんな静な文学の道があります。 GWは観光地を避けて車と歩きで楽しんでみました。 ハイキングコースとなっています。
by suzu62
| 2008-05-04 21:09
| 自然
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